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7月25日 二日目。復興住宅が建っていました。浪江町に行く途中の国道。マイクロバスの中での線量が、5.52マイクロシーベルトを示し、警告のバイブが鳴りました。ざっと、平常値の70倍です。6年経っても、まだまだ住めません。
浪江駅は、来年の4月から開通しますが、線量は、0.36マイクロシーベルトを示していました。駅前に「高原の駅よさようなら」の歌碑がありました。作曲家 佐々木俊一の故郷とのこと。浪江の町並みですが、人は、極めて少ないようです。新聞販売店に寄り、福島民報を買いました。
請戸(うけど)小学校のモダンな校舎がありました。津波の爪痕がありました。亡くなった方の碑と墓がありましたが、請戸小学校の児童は、この碑のあるところへ、避難したために、全員助かりました。
吉沢牧場(希望の牧場)では、牛が放牧されていましたが、線量は、0.46マイクロシーベルトと平常値の5倍でした。
小高駅は、開通されていましたが、乗客は、近くの高校へ体験入学に行く中学生だけでした。南相馬のかしまの「一本松太郎」が残っていました。南相馬の馬追が行われる「小高神社」を見学しました。勇壮なお祭りだそうです。
今日の宿は、民宿へ。宿に着く頃は、土砂降りの雨。宿の「森森(りんりん)」。カビ臭くてねむれませんでした。
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